【NO FASHION, NO LIFE! 】ファッションで人生に彩りを与える!

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 お洒落になるにはファッションを学ぶことが大切であることは何も書いてきました。ただファッションを学ぶことは簡単なようで難しく、難しいようで簡単です。その難しさの一つは歳を重ねていても、ファッションを学ぶ環境になかったということが挙げられます。また簡単さとはある程度の学びがあれば、圧倒的な成長を遂げられるということ。ファッションを面白いと感じることができる。ワクワクすることができる。褒められる(←これとても重要なことです。)、だから自信がつく。

われわれの世代が目指すファッションスタイルは、年齢相応のものであり、奇抜な訳でもなく、ブランド信仰な訳でもなく、高価なものでなくてもできるだけ良質な選び、優雅であるが質素、上品でしかも優美であるファッションスタイルを目指していきたい。
大袈裟なタイトルかもしれませんが、本当のお話なので、あえてこんなものにしました。

其の一 ファッションは見せびらかすためするのではない。

 これ見よがしに高級時計やアクセサリーを身につけることは、品性を疑われてしましますから、身に付ける場所やシチュエーションを選ばなくてはなりません。もちろん、高級品は身に付けるものだけに限らず、車でも見せびらかすために休日の目ぬき通りを走らせるといった行為も同じようなものです。
ましてや高級品を持っていること自体が満足となっているならば、お洒落やスタイルのある人になることとは程遠いことは知っておきましょう。格好つけるもの、見栄を張るのも、やり方次第で受け取る側はどう思うかをイメージするといいでしょう。
ブランド物をひけらかすような装いはファッション好きの間、大人スタイルのある人には滑稽に思えてしまうものです。ブランド物に頼っても決して映えのある着こなしができるかというと、そんなことはありません。
この60数年を振り返ってみても、ブランド物を端正に着こなしている人を一度も見たことがありません。セレブでもない限り、全身ブランドの服や宝飾品を身に付けていること自体がヤバい。偏見と知りながら言ってしまうと、ブランド物を身に付けることを楽しむのは40代まで。
それ以降はひっとりと本当にファッションがわかる人が認めてくれるか、自己満足でもいいので「良質なもの」を身に付けることが格好いいと思うのですが、いかかでしょうか?

其の二 ブランドを凌駕するモノは数多く存在する。

 ここで言う「良質なもの」って何なのかをはっきりしておきます。世の中にはわれわれの知らないファッションに関わるモノやアイテムが溢れかえっています。その中から選ばれたモノやアイテムはほんのひと握りだということです。
あまりに多くのモノに囲まれてしまっている時代にモノを選択することがどれだけ難しいことか。こんなことを考えずに目の前にある“モノ”を選んでしまうとしたら、とてももったいないことだと思うのです。限られた時間の中で「良質なモノ」を求めていくと、自然とブランド物に頼ってしまうのは理解できます。
ここが間違えやすいところで、それはブランド物を選ぶ基準なのです。今まで書いたようにひけらかすことを目的にしているのか(本人は自覚がなくても、他人にはわかる)、実際に良質なモノだと理解して選んでいるのか雲泥の差があります。
モノやアイテムに愛着があって、それが保っていてくれれば、何十年と持っていられるのですが、いかがでしょうか?単なるモノやアイテムを消費しているだけならば、本当にそんなもったいないことはない。

其の三 ファッションには品性が現われる。

 高級品を身につけているからと言って、決してお金持ちになった訳でもなく、その気分に浸れるという妄想を抱けるだけです。高級品を身に付けてる自分は偉くなった気分で、他人に対して横柄な態度を取ったりする人もいて、甚だ迷惑なことだと思ってしまうのは私だけではないでしょう。
正直に言うと、私もかつてはこのようなことをしでかしていた一人です。だから、これ見よがしな態度を取ったり、他人を見下すこともなければ、偉そうに振る舞うことがとてもみっともいいものでないのがわかったのです。

其の四 モノコトを楽しむにはファッションという扉がある。

 ファッションは文化だと捉えると、服やアクセサリー、さらに音楽、映画など、この世界のあらゆるモノ・コトが単独で成り立っているのではないことがわかります。
ファッションディレクターと言われる人がミュージシャンであったりするのは今の時代当たり前です。タレントさんやモデルさんもアパレル事業をするし、服を制作します。ファッションがそういった生きていくうえで、楽しめるコトモノであるとしたら、生き方に関わってくるとも言えるのですが、これは言い過ぎでしょうか?

其の五 ファッションは60代になっても潤いを与えてくれる。

 若い頃に夢中になった経験や年を重ねからの経験もかけがいのないものです。
若い頃、自転車を駈けては大好きな街を服巡りしていました。シニアになっても、あの頃の楽しかった思い出を今でも鮮明に思い出すことができます。
二十代の楽しみはベタな言い方をすると青春そのもの。週末にはディスコで朝まで遊び、流れていた音楽に酔いしれてました。今でも’80年代のディスコサウンドがかかる、自然と体が動いてリズムを刻んでしまいます。耳で聴くというよりも体全体で受け止めているような感覚。
’80年代の音楽を繰り返し聴くようになったのも、実は最近ハマっているK-POPを聞いてからです。
ダンスミュージックという共通点もあるのですが、K-POPの楽曲にDISCO MUSICの根底にあるファンキーでソウルフルなスピリットが、息づいているように感られるのです。ファッション、本、音楽や映画などの様々なカルチャーはわれわれの血となり、生きる糧にもなるとても大切なものです。
これらは勉学だけでなく、“遊び”の中から得られることが多くあります。いい大人になっても、年齢を重ねても遊び心を忘れずにいたいものですね。ファッションのことから私自身の昔話にまで及んだ今回のブログはいかがでしたでしょうか?
今回のブログは初めに構想していた内容とはとても離れたものになりました。いい歳になってもお洒落でありたい。他人からも素敵なジジイと言われたいという想いからこんな内容の文章が出来上がりました。やはり、ファッションの隣には音楽、本、映画やインテリアデザインなどわれわれの生活に関わる多くのモノトコが存在しているように感じていいます。
ファッションという扉を開けて、多くのモノコトに出会えました。入り口は人それぞれ違うけれど、人は自分以外のモノコトに触れることによって、気持ちが揺さぶられることがあったりします。その感動を何年経っても忘れずに心に留めておきたい。すぐ隣に楽しみがあると思いながら、これからも歳を重ねていきたいと思いますね。

ご愛読ありがとうございました。

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